行けないと思っていたところへ①
2014年 10月 14日
みなさま、大変お久しゅうございます。
色々なことが段々と忙しく、すっかりブログの更新もできなくなってしまいました。
その間、覗いてくださっていたみなさま、ごめんなさい。
そして、ありがとうですm(_ _)m
Twitterでは少し旅のおすそ分けをしていたのですが、10/4、5で広島、宮島、出雲に行ってまいりました。
旅に行くのは5、6年ぶり?と思っていましたが、そうそう、1年半前に福島に行って以来ですね。
でも、今回は一人だったので、十数年ぶりの一人旅だった。
普段、仕事や研修、ミーティングなど様々な予定が入ってくるので、自分優先で旅に行くことはなかなか叶わず、綿密な調整と何よりも思い切りが必要です。
その思い切りのきっかけになったことは…
実は、私、以前からちょっと野村萬斎さんのファンだったのですが、最近、疲れて帰った深夜の気晴らしにYouTubeを色々見ていたところ、ふと思い出したように萬斎さんの舞が見たくなって。
見ていたら熱が再燃してしまいまして。
見れば見るほど、洗練された「技」に、「狂言」を人生の仕事として選ばざるを得ない環境だけでは、こうはならないな、と思って。
それに、ただ漫然と稽古を積むだけでもこうはならないなと感じて。
自分が今の仕事について悩んでいただけに何がそうさせたのか興味が湧いて、その培われた「技」を生で観たくなってしまったのですね。
そう思ってチケットを探していたところ、宮島の厳島神社で狂言をされるというのがあって。
厳島神社は行きたくてずーーーっと憧れていたところ。
でも、以前、旅の計画を立てかけて、エラく遠くて時間もお金もかかるな〜と思い、断念したのでした。
「今の私にはムリだ…」と思ってやめたのでで、行ける気がしなかった。
それが、行こうと思って探すと、たまたまヒットした航空券と宿泊のセットでかなり格安で行けることが分かり。
行こうと決断。
何かきっかけがなければ、こういう思い切りもできないから、急に萬斎さんが観たくなったのも何かのご縁と思って。笑
……さて。前置きが長くなりましたが。
恥ずかしながら、飛行機に乗るのも久しぶり。
ドキドキ。
あっという間に広島。
こんなにするん、と来れると思っていなかった。
広島市内に移動し、朝ごはんを食べて。
原爆ドームへ。
今でもこんなにしっかり残る建物が壊れることってどんなことだったんだろうと思いながら、歩く。
平和記念公園。
慰霊碑の正面に立った時、そこから臨み見ることのできる平和の灯、原爆ドームが何とも言えなかった。
慰霊碑を囲む平和の池。
水を求めて亡くなった魂を鎮める意味であるそう。
平和記念資料館へ。
お弁当箱。
持ち主はこのお弁当箱を抱えてうずくまって亡くなっていたそう。
全ての展示物はフラッシュなしでなら撮影できます。
三輪車に乗るのが大好きで、乗ったまま亡くなった3歳の男の子。
墓地に埋めるのは寂しいだろうと、この三輪車と一緒に裏庭に埋葬されていたというお話。
熱さで泡立ってしまった瓦。
溶けた小瓶のそばで亡くなった弟さんを見つけたお兄さんは「熱かったろう…」と言われたという。
その他にも沢山の当時の悲惨さを残すものたちが展示されていました。
多くの人が家族を必死で探し、見つけて看病するも甲斐なく亡くなった…というお話ばかりでした。
原爆で味わった苦痛は私には想像も及ばないものだけれども…多くの人が人生も、未来も失ったことが伝わってきました。
これが自分や家族だとしたら、どんなことだろうかと思うと涙が出そうになってしまった。
平和記念公園は本当にのどかな「平和」そのものの場所でした。
原爆の爪痕を残しながら、そこからこの平和を沢山の人たちが求めて、必死に創ってきたということが感じられる場所でした。
なら、今生きている私たちはこの平和を守っていかなきゃならないよね…と思ったのでした。
私にとっての「平和を守る」とは何ぞや。
自問自答もまた一人旅の醍醐味の一つ。
(※この旅レポは3本立てで②、③と続きます。良かったらそちらも覗いてみてください)
色々なことが段々と忙しく、すっかりブログの更新もできなくなってしまいました。
その間、覗いてくださっていたみなさま、ごめんなさい。
そして、ありがとうですm(_ _)m
Twitterでは少し旅のおすそ分けをしていたのですが、10/4、5で広島、宮島、出雲に行ってまいりました。
旅に行くのは5、6年ぶり?と思っていましたが、そうそう、1年半前に福島に行って以来ですね。
でも、今回は一人だったので、十数年ぶりの一人旅だった。
普段、仕事や研修、ミーティングなど様々な予定が入ってくるので、自分優先で旅に行くことはなかなか叶わず、綿密な調整と何よりも思い切りが必要です。
その思い切りのきっかけになったことは…
実は、私、以前からちょっと野村萬斎さんのファンだったのですが、最近、疲れて帰った深夜の気晴らしにYouTubeを色々見ていたところ、ふと思い出したように萬斎さんの舞が見たくなって。
見ていたら熱が再燃してしまいまして。
見れば見るほど、洗練された「技」に、「狂言」を人生の仕事として選ばざるを得ない環境だけでは、こうはならないな、と思って。
それに、ただ漫然と稽古を積むだけでもこうはならないなと感じて。
自分が今の仕事について悩んでいただけに何がそうさせたのか興味が湧いて、その培われた「技」を生で観たくなってしまったのですね。
そう思ってチケットを探していたところ、宮島の厳島神社で狂言をされるというのがあって。
厳島神社は行きたくてずーーーっと憧れていたところ。
でも、以前、旅の計画を立てかけて、エラく遠くて時間もお金もかかるな〜と思い、断念したのでした。
「今の私にはムリだ…」と思ってやめたのでで、行ける気がしなかった。
それが、行こうと思って探すと、たまたまヒットした航空券と宿泊のセットでかなり格安で行けることが分かり。
行こうと決断。
何かきっかけがなければ、こういう思い切りもできないから、急に萬斎さんが観たくなったのも何かのご縁と思って。笑
……さて。前置きが長くなりましたが。
恥ずかしながら、飛行機に乗るのも久しぶり。
ドキドキ。
あっという間に広島。
こんなにするん、と来れると思っていなかった。
広島市内に移動し、朝ごはんを食べて。
原爆ドームへ。
今でもこんなにしっかり残る建物が壊れることってどんなことだったんだろうと思いながら、歩く。
平和記念公園。
慰霊碑の正面に立った時、そこから臨み見ることのできる平和の灯、原爆ドームが何とも言えなかった。
慰霊碑を囲む平和の池。
水を求めて亡くなった魂を鎮める意味であるそう。
平和記念資料館へ。
お弁当箱。
持ち主はこのお弁当箱を抱えてうずくまって亡くなっていたそう。
全ての展示物はフラッシュなしでなら撮影できます。
三輪車に乗るのが大好きで、乗ったまま亡くなった3歳の男の子。
墓地に埋めるのは寂しいだろうと、この三輪車と一緒に裏庭に埋葬されていたというお話。
熱さで泡立ってしまった瓦。
溶けた小瓶のそばで亡くなった弟さんを見つけたお兄さんは「熱かったろう…」と言われたという。
その他にも沢山の当時の悲惨さを残すものたちが展示されていました。
多くの人が家族を必死で探し、見つけて看病するも甲斐なく亡くなった…というお話ばかりでした。
原爆で味わった苦痛は私には想像も及ばないものだけれども…多くの人が人生も、未来も失ったことが伝わってきました。
これが自分や家族だとしたら、どんなことだろうかと思うと涙が出そうになってしまった。
平和記念公園は本当にのどかな「平和」そのものの場所でした。
原爆の爪痕を残しながら、そこからこの平和を沢山の人たちが求めて、必死に創ってきたということが感じられる場所でした。
なら、今生きている私たちはこの平和を守っていかなきゃならないよね…と思ったのでした。
私にとっての「平和を守る」とは何ぞや。
自問自答もまた一人旅の醍醐味の一つ。
(※この旅レポは3本立てで②、③と続きます。良かったらそちらも覗いてみてください)
by namission12
| 2014-10-14 00:21